七里の渡し

【宝勝院】

七里の渡しの石碑

蓬莱陣屋のすぐ南側には、熱田湊常夜燈を1654年頃から1891年まで管理していた宝勝院があります。 本尊の阿弥陀如来立像は鎌倉時代に作られたもので、肉親は金泥、衣部は漆箔、玉眼嵌入で胎内には摺仏、印仏、写経などの納入品が納められていました。 写経には僧永厳が1232年に記したと奥書がしてあり、これら全てが重要文化財に指定されています。

【大名の招待御殿】

宝勝院の南の道を西に行くと消防団詰所があります。 ここにはかつて西浜御殿があり、御殿とは大名を招待・供応する施設で、七里の渡しの浜を埋め立てた出島に東浜御殿、熱田奉行所の南にあたるここに西浜御殿がありました。 西浜御殿は1654年に2代藩主光友が造営し、東西約65メートル、南北約59メートルに及ぶ大きなものだったといわれています。 これらは戦争で焼失したのではなく、正殿は安政年間に、残りの建物は1873年に売却され姿を消しました。

【聖徳寺】

そこから西に行くと、宝勝院以前に常夜燈の管理をしていた聖徳寺があります。 なぜ管理をするお寺が移ったのかというと、もともと常夜燈はこの聖徳寺の近くにあったのですが、嵐で壊れてしまったので宝勝院の近くに移されたからとのことです。 大層な理由で移されたわけではなく、ただ単に場所の都合だったようです。また聖徳寺には県指定文化財の聖徳太子像があるのですが、これは漁師の網にひっかかって引き上げられたものだそうです。